宗谷地域は北海道の最北部に位置し、北枠44°34’86"から45°31’27"、東経140°57’47"から142°50’34"で東はオホーツク海、西は日本海を臨み、南は留萌、上川並びに網走支庁に接し、東西約150㎞、南北約100㎞の広がりを持っている。管内の総面墳は約4,051km2で北海道の総面額の約5%にあたり、ほぼ長崎県の面積に匹敵する広さを有している。開拓の歴史は道央圏に比べ約20年ほど遅れて明治30年頃より始まっている。開拓当初は雑穀、ばれいしょ等の畑作物の生産から手掛け、地域の気候・土地条件に合った作物の選択や酪農の導入を試みながら今日の基礎が築かれたのは、明治末期から大正にかけてであった。しかし相次ぐ冷害、凶作及びでんぷん価格め暴落等の影響を受け長い間農家経済は低迷していたが、昭和31年の集約酪農地域の指定を契機に寒冷地型酪農業を目指した農業経営の転換が図られた。併せて数々の土地基盤整備事業等により、経営親模の拡大と生産性の向上が図られ、道内でも主要な酪農地域として発展してきた。しかし、近年における農業をとりまく環境は、農産物の自由化・国際化で揺れ動く我国の農業情勢と同様に、管内の農業もその渦中にあり、安全な農産物の生産を目指すと共に快適で美しい農村空間の形成等、地域の質的な向上を図るため第二次的な開発が強く望まれている。このような状況下で計画されたかんがい排水事業「歌登中央地区」の着工は、管内の農業開発の歴史の転換期を意味し、かんがい排水事業の歴史の始まりとして非常に意義深いものと思われる。本報告は、かんがい排水事業導入までの歴史的な背景と「歌登中央地区」の概要について述べるものである。 |