| 作成年度 | 1987年度 |
|---|---|
| 論文名 | 豊平川急流河川における低水路護岸について |
| 論文名(和訳) | |
| 論文副題 | 昭和61年度(D-23) |
| 発表会 | 昭和61年度技術研究発表会 |
| 誌名(No./号数) | 昭和61年度技術研究発表会 |
| 発表年月日 | 1987/06/01 |
| 所属研究室/機関名 | 著者名(英名) |
|---|---|
| 渋谷直生 | |
| 岩清水武男 | |
| 脇坂壽男 |
| 抄録 |
|---|
| 150万都市札幌を貫流する豊平川の治水工事は明治14年に南1条(KP0/14)から南20条(KP0/17)間の左岸に堤防を築設したのが始まりで、その後長期に渡り治水事業を推し進めて来た。近年は急速に都市化の中で都市内に残された貴重な空間であり、空間を利用した環境機能を整備し各種の施設及び緑地は市民に憩いの場所を提供しているが、一見平静を保つ豊平川も一度出水が生じたならば暴れ川に変貌する事は56年8月の洪水にて経験ずみである。この洪水では、治水対策として長年に恒り施工された護岸工はその機能を十分証明したが、高水敷の環境施設、局所洗掘による根固工、護岸工近くの高水敷が洗掘され護岸工自体の強度とは無関係に背後から裏込の流出等の被災を受けている。ここでは主に56年8月洪水の局所洗掘による根固工の検討及び復旧工事例について報告するものである。 |
| このサイトで提供される情報には、PDFファイルが使われています。PDFファイルをご覧頂くにはAdobeReaderが必要です、「Get AdobeReader」をクリックしてダウンロードしてください。 |