帯広川は日高山系帯広岳付近に源を発し、帯広市街地で十勝川と合流する1級河川である。当事務所の直轄施行区間は帯広川と国道38号線の交点に懸る鎮橋までである。本調査は、帯広築堤右岸、東は札内川、南は国道38号線、北・西を帯広川に囲まれた地域で行なわれた。調査地域内には、レクリエーション施設「水光園」および住宅の密集地域が在り、そのなかを縫うように旧帯広川が流れている。帯広築堤右岸地区、旧帯広川内水排除計画が昭和44年策定され、帯広排水機場を設置することとなり、昭和45年より3ヶ年費やし施工されたが、昭和46年排水機場設置に伴い帯広樋門を施工したところ、根堀個所より水の流出があり、ポンプの強制排水、仮水路の堀削など手を施したが、水の流出量は衰えず、一方、旧帯広川では平常時水深0.50mが0.20mに、「水光園」では地下水を供給源として貸ボートなどを営んでいたが、地下水の供給量が少なくなり貸ボートの営業が不可能となった。又、旧帯広川付近の住民からは井戸水の中に鉄分が滲出し、生活用水として使用ができないという苦情が相次ぎ、対策工法として、仮水路の鋼矢板施工、旧帯広川の締切堤などが施され、水位の維持を計ったとのことである。昭和45年大雨資料の整備が行なわれ、昭和46年から昭和48年にかけて流量改訂を行なった結果、帯広川は現行160m3/secの計画高水流量を260m3/secとすることとなった。昭和49年計画高水流量の変更に伴い、河道計画の再検討を行なった結果、低水路の拡幅、床下げにより流過断面を確保することとなった。その理由としては、帯広川周辺域は住宅が隣接しており、築堤の引き堤嵩上げなどにより必要となる用地の確保が困難であり、河道内処理が適切であるという事であった。帯広川改修計画を施行するに際し、水光園・旧帯広川一帯の水問題の解決が不可欠であるが、地域住民の要望に応え、洪水に対処し得る河川改修を早期に行なう必要があり、昭和49年に水問題の調査を行ない地下水に影響を与えない範囲で一期工事として160m3/secに相応する工事を実施している。施工にあたり最終計画に対して手戻りを最少限にとどめる工法を検討し、将来必要な場合打込むことによって不透水層に達することができ、法留工の基礎となり、河床洗堀による決遺防止にもなり、地下水に対して遮水性に富む鋼矢板工法を採用したものである。一期工事において、帯広樋門施工時のような水問題は起きていないが、二期工事はさらに床下げを行うので改修工事の影響、すなわち河床低下に伴う周辺地下水位低下の影響が懸念された。また、一期工事に伴う昭和49年調査では、比較的浅い位置のデータを基に水理常数を決定しており、不透水層基盤の形状など十分な把握がされておらず二期工事を施工するにあたり、昭和50年よりボーリング調査、地下水位観測を行ない、地下水流の調査解析を昭和53年度から行ない、55年度調査を終了し一定の結論を得た。この間、十勝川の流量改訂作業が行なわれ、昭和55年3月十勝川工事実施基本計画が閣議決定され、帯広川の計画高水流量が260m3/secに確定した。昭和56年度より二期工事を実施するにあたり、ここに報告するものである。 |