現川向頭首工は、石狩川左支川幾別川の粁標16,480㎞に位置しており、岩見沢市および北村の両地域にまたがる、かんがい面積3,154.2ha、取水量(しろかき期)11,383m3/secの幾春別川を水源とする取水施設である。この川向頭首工の歴史は古く幾春別川を水源とする水稲栽培は明治19年頃の試作にはじまり明治30年川向用水組合の設立、明治37年頭首工着工、同39年に完成している。その後施設の改良補強を経て、戦後桂沢ダムの建設により農業用水が確保され、総合美唄地区国営かんがい排水事業に地区編入し、昭和35年国営事業として現頭首工が設置されたものである。幾春別川の改修は昭和16年度より幾春別川新水路工事として着手されたが、戦時中の空白期もありこの新水路の完成は昭和36年である。この間昭和27年度には戦後の多目的ダム第一号である桂沢ダムが着工昭和32年に竣工しており、幾春別川筋における洪水被害は軽減されたが、昭和41年8月計画を上廻る大洪水が発生し三笠・岩見沢市に大きな被害をもたらした。このことから45年計画流量の改訂(380m3/sec→900m3/sec)と共に河道計画も変更された。この河道計画の変更により、敷高、流下断面において支障となる現頭首工の改築が懸案となっていた。昭和50年8月北海道全域におよぶ大洪水は石狩川流域にも大被害の発生となり、幾春別川も三笠・岩見沢市内のはんらんとなり、未改修区間や川向頭首工を中心とする河道の狭少さがクローズアップされた。この洪水を機に地域住民の強い要望が結集し、川向頭首工下流部の河道改修の促進とあわせてこの川向頭首工の改築が昭和56年度完成を目途に、幾春別川改修附帯工事として全額河川費にて昭和52年度より進められることとなったものである。なお川向頭首工下流部の河道改修については、新計画にもとづき昭和46年岩見沢市街地区から着工、狩野橋~萱野橋間についても、昭和56年度概成を目途として継続施工されている。本稿は新頭首工設置にかかる河道計画との関連、洪水対策としてのゲート機能等又施工計画における仮設、導水路工等独自の検討による特異点も有しており、その計画、実施についての概要を述べるものである。 |