国立研究開発法人土木研究所 寒地土木研究所

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 開拓と土地-旧美唄かんぱい事業地域-

作成年度 1981年度
論文名 開拓と土地-旧美唄かんぱい事業地域-
論文名(和訳)
論文副題 昭和55年度(E-13)
発表会 昭和55年度技術研究発表会
誌名(No./号数) 昭和55年度技術研究発表会
発表年月日 1981/10/01
所属研究室/機関名 著者名(英名)
坂田資宏
抄録
国営総合美唄地区かんぱい事業地域は、夕張山地山麓を東端に、北は空知川、南は旧夕張川、江別川を境として、石狩川左岸にひらけた平野部である。行政区的には、赤平、砂川、奈井江、美唄、北村、岩見沢、三笠、栗沢、南幌の5市4か町村にまたがる、2万ha(受益戸数4,573戸)の地域をさしている。石狩平野の開拓は、主として札幌周辺からはじまった。そして、幌内鉄道の延長上にあたる岩見沢に士族集団が、終点の市来知に集治監がおかれ、おいおいに村落としてひらけつつあった。その他の未墾地原野は、いわゆる無主地であった。近代的な土地所有制度をとり入れようとしていた政府は、この未開の土地を順次、個人所有に移す方針をとった。明治19年に設置された北海道庁は、さっそく殖民地選定事業をおこし、さらに「殖民地区画」、「土地払下規則」つづいて「国有未開地処分法」などの運用を通じ、つぎつぎと個人や民間企業社に賃下げをおこない、開墾成功者には土地所有権を付与したのである。本地域内の開拓は「集治監」「士族集団」「屯田兵」「出身地団体」「農場」といった方式ですすめられた。このような開拓の運用と、土地配分について考察してみた。
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