作成年度 | 1979年度 |
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論文名 | 北海道開発局における除雪機械の変遷 |
論文名(和訳) | |
論文副題 | 昭和54年度(H-8) |
発表会 | 昭和54年度技術研究発表 |
誌名(No./号数) | 昭和54年度技術研究発表 |
発表年月日 | 1980/02/22 |
所属研究室/機関名 | 著者名(英名) |
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堅田豊 |
抄録 |
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北海道の道路除雪は、昭和8年に米国製トラクタで札幌市内において試験的に実施したのが記録的に最初で、その当時は「馬そり」が唯一の冬期の交通機関であった。その後、昭和17年の第2次大戦中にトラックによる道路除雪が試みられたが、本格的な除雪が行われ始めたのは、第2次大戦終了の20年に米国の進駐軍の命令による、札幌市内18km、札幌-小樽間37kmである。そういった経過により、道路除雪は北海道の冬期間の社会経済活動、住民生活安定上不可欠であると一般に認識されてきた。その後、25年には「北海道道路運送冬期対策協議会」が発足し、また31年には「積寒法」が制定され、計画的な除雪体制の整備が促進されてきた。その中で、除雪の機械化は、積雪条件、気象条件、道路条件、やまたに土工用機械に比べ稼動時間が短いなど、開発改良に幾多の問題を有している。そこで、ここでは北海道開発局における除雪機械がどのように変遷してきたかを記述する。 |
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