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 能取漁港湖口工事報告-主として永久水路開削について-

作成年度 1974年度
論文名 能取漁港湖口工事報告-主として永久水路開削について-
論文名(和訳)
論文副題 昭和49年度(F-7)
発表会 S49年度技術研究発表
誌名(No./号数) S49年度技術研究発表
発表年月日 1974/04/01
所属研究室/機関名 著者名(英名)
菊池喜弘
谷川剛
佐藤紀美雄
抄録
弓状に延びるオホーツク海岸の網走市から紋別にかけて大小7つの湖沼が点在する。これらの多くは隆起性海岸の砂丘で海と隔絶され、わずかな水路で外海と連なっている。その生成は沿岸漂砂に起因しているものと思われ、この一帯の砂の動きの著しいことがうかがえる。能取湖は、これら湖沼群の1つで能取岬と常呂岬を両端とする海岸線のほぼ中央部に湖口を有し、短径7km長径11kmと南北に長い楕円形をしており、周長32km、水面積58.5km2、最深部水深21mで、開口時の湖口は東西から延びた砂州の最も狭い位置にあり水路は巾約80m、深さは最も深い時で2.0m~2.5m浅くなると1m以下となる。しかしこの水路も秋以降の北西の季節風が吹き始めると波と沿岸流による漂砂によって湖口前方の沿岸砂州がしだいにその規模を大きくして湖口潮流の出入量を減少させ、ついにはこれを閉塞させてしまい、その後の絶え間ない、北西方向の波浪によって湖口は周辺の海浜とはまったく同じ形状になる。これらの事象に伴う春の融雪出水による湖面水位の上昇は、周辺の農地、道路、鉄道に例年の冠水被害をもたらすとともに、地下水位の上昇による耕地の排水を阻害して農地の開発を遅らせる一方、湖口部の舟行を阻止して湖水面の港としての有効利用や外海への漁船の出漁を不可能にし、更には海水の交流を阻んで、湖水の汚濁、老朽をもたらし湖面の養殖漁場としての利用をも阻止していて、この地方の開発の上に与えている有形無形の損害は計り知れないものがある。このような隘路を打開するため例年春の融雪期に貯留された湖内水を砂丘上に人工の水路を作る、いわゆる「潮切り」を行うことによって莫大な水のエネルギーを外海に放流し、この掃流力を利用して水路断面の拡大を計るという作業がこの地方の春の風物詩ともなってきた。一方近接地にあって現在、常時開口の状態にあるサロマ湖も昭和4年以前は、他の湖沼同様閉塞湖沼であって、毎春の潮切りによって間欠的に内水の排除が行なわれてきたが昭和4年春、水質の悪化と外海への出漁の不便に悩んできた漁民が旧湖口部の潮切りに先んじて現湖口の位置で潮切り開口して以来、まったく閉塞することなく、常時開口の状態を保ち現在に至っている。この偶然的な発見に着目した北海道開発局土木試験所(港湾研究室)では、これら水理機構解明のための調査を昭和36年から始め、41年からは能取湖口永久水路化のテーマに取組んで昭和43年にはその結果を発表した。その結果が能取湖内に一大漁港を建設するという今日的要請の中に組込まれて昭和44年4月に漁港整備計画の承認されるところとなり、昭和45年には待望の漁港建設工事に着工して次第にその概要を整えてきた。昭和49年4月20日には能取漁港修築事業のメーンイベントというべき湖口永久水路の通水工事が行なわれここに漁業関係者をはじめ地元住民の永年の悲願であった能取漁港(第4種)の湖口開口をみた訳である。本文ではこの永久水路化工事の計画、施工、調査について経緯を報告する。
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