作成年度 | 1965年度 |
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論文名 | 締切堤の計画と施工について |
論文名(和訳) | |
論文副題 | 昭和39年度(46) |
発表会 | 昭和39年度技術研究発表会 |
誌名(No./号数) | 昭和39年度技術研究発表会 |
発表年月日 | 1965/12/20 |
所属研究室/機関名 | 著者名(英名) |
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高木譲治 | |
佐々木富士雄 | |
荒田三良 | |
菅原紀夫 |
抄録 |
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石狩川改修工事の歴史は明治43年から第1期拓殖計画として始り、大正7年生振新水路掘削に着手して以来戦前はショートカットに重点を置き蛇行している河道の整正を図り、洪水時流水の疎通を良好にし、洪水被害の軽減と周辺流域の地下水位の低下による耕地の開発を目的として進められた。この間緊急を要する市街地および掘削土浚渫土利用による築堤が進められたが、連続した築堤としての効果は発揮されていなかった。戦後、食糧増産、人口吸収の要望に応じて北海道開発は強力に進められ、石狩川の改修も進展みるべきものがあり、築堤工事も上流から遂次進められ暫定または、完成断面で築堤が連続してきた。しかしながら新水路の旧川締切箇所は、新河道の安定を考慮して施工する関係から締切水制を設置して、土砂の堆積を待つ箇所とか、排泥土を利用して盛土する等の関係から未だ多くの締切箇所を残している。昭和39年度北村3区、空知川合流点、和築堤等の永年期待の締切箇所に着手したのを機会に、その計画と施工報告をまとめたものである。 |
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