作成年度 | 1967年度 |
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論文名 | 天塩港調査報告 |
論文名(和訳) | |
論文副題 | 昭和41年度(74) |
発表会 | 昭和41年度技術研究発表会 |
誌名(No./号数) | 昭和41年度技術研究発表会 |
発表年月日 | 1967/12/01 |
所属研究室/機関名 | 著者名(英名) |
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岡山夫 |
抄録 |
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本港は天塩川の河口に発達した港で今より200年程徳川時代に利尻並びに樺太経営の寄港地となり、又鰊漁期を終えた後天塩川の豊富な漁獲に当った。当時は川岸一帝樹木鬱蒼として昼なお暗く鮭の豊漁な事は想像外で網を結ばずして魚を獲ったとの事である。河口においては明治の年代から大正末期頃までは流域の木材全部がこの河を流送せられて百石~五百石船が常時100隻位碇泊しており木材の町として栄えた。しかし時勢が変遷し昭和の初期に至り木材の乱伐がたたり上流地帯の荒廃と共に港勢は衰微の一路をたどったということである。当時はあまり重要視されなかった漁業も鰊が北方に移動してきたのでこれが漁業に力を注ぎ漁期には相当の盛況を極めたが河口特有の澪筋の変化並びに水深浅く漁船の遭難続出で河口改修の声が高まり昭和6年11月地元民の要望が叶って試験工事として着工した。昭和6年から15年まで試験工事、昭和16年から19年まで災害復旧工事に引続き昭和27年から天塩港改修工事として本格的な修築が始められた。 |
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