作成年度 | 1959年度 |
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論文名 | 石狩河口漂砂について |
論文名(和訳) | |
論文副題 | 昭和34年度(40) |
発表会 | 昭和34年度技術研究発表会 |
誌名(No./号数) | 昭和34年度技術研究発表会 |
発表年月日 | 1959/05/01 |
所属研究室/機関名 | 著者名(英名) |
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荒関良夫 |
抄録 |
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自然状態にある河口は、河口付近の沿岸流あるいは波の原動力とする漂砂量、河川の流勢、地形などの影響力によって変化するため一定の形を保つことはまれである。石狩河口も明治初年頃は、北へ移動していたようである。それは春の融雪期に多量の土砂を流し、河口を出るときに速度が落ちるために土砂を河口に沈積させる、また越水は右岸を堀り河口に沈積し、更に左岸に寄せるため左岸の延長となったものである。その後石狩川本流の水制工設置に伴って、河口の移動も減少し現在では平衡状態を保っている。今回の調査は、漂砂の径路、水深と漂砂量、漂砂の方向などを実測するもので河口に導流提を設置する場合、法線の方向とか先端の位置などを決定する資料の蒐集であって、調査期間は昭和33年7月の約1ヵ月である。 |
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