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 豊平川7号床固メ災害復旧工事

作成年度 1961年度
論文名 豊平川7号床固メ災害復旧工事
論文名(和訳)
論文副題 昭和35年度(42)
発表会 昭和35年度技術研究発表会
誌名(No./号数) 昭和35年度技術研究発表会
発表年月日 1961/09/01
所属研究室/機関名 著者名(英名)
大串国弘
抄録
急流河川豊平川は山間部を離れて直後、札幌市内を通過し約12km下った地点で石狩川と合流している。豊平川における治水工事は遠く明治7年に鴨々川取水門上下流護岸を皮切りに、幌平橋から苗穂鉄道橋に至る4km余の市街地区間を重点として施工されてきた。しかし治水工事の進展に伴う掃流力の増大、発電用ダムの築造による流下砂礫量の減少および土木建築材料としての河床材料の大量採取などの原因で、この区間の河床は年々低下をはじめ、既設護岸や橋梁脚の洗掘の被害を生じ、用水の取入れにも支障をきたすようになり、河床低下の防止が要望されるに至った。河床低下の対策としては護岸水制の増強や河道整理を行うのが普通であるが、中小河川においては程度がひどくなると護岸水制だけでは到底処理しがたく、むしろ床固メによる方法が有利な場合が多い。本区間は市街地であるため安全を期し、床固メが計画された。床固メ工を縦断方向に連続的階段状に数多く設置して適当な河床勾配に緩和し、掃流力を減少せしめかつ土砂の飾分けを行い河床を安定せしめ、併せて乱流をも防止するのが目的である。しかし床固メ工は河床を人為的に規整しようとするのであるから、その河川のもつ自然の安定性とよく合致するときは維持も容易であるが、そうでない場合はかえって河床を荒らし維持が困難とされているので慎重な調査と考慮が必要である。
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